ペットと人のハッピーライフを 出会いからエンディングまで
獣医師・ 動物医療 グリーフ ケア アドバイサー
阿部美奈子先生の合同会社Always

  

 

リズムとの別れ in マレーシア

We Love Rizumu!

その最期はあまりに突然でした…
9月25日 朝9時30分
動物病院からリズム死亡の連絡。
急に吐き始めてから1日半で、あっさりと逝ってしまいました。

マレーシアと日本の遠距離通勤を始めて3年近くになります。
9月15日いつもどおりマレーシアの自宅を出発しました。
ソファからいつもと変わらない声でわんわん! 
なに一つ変わらない光景。

元気な笑顔で送ってくれたんだよね、リズム。
「行ってくるね~」

9月15日いつもどおり自宅を出発



リズムとスウィングに送られて。
「行ってらっしゃい」



数日前には2匹仲良く自宅でシャンプー。

突然の出来事・・・

突然吐き始めたと娘から連絡がきたのが9月23日夕方5時半ころ。
近くの動物病院に隣人の助けを得て連れていき、制吐処置。
その晩は自宅に戻りました。翌日改善せず昼過ぎから病態悪化。

娘が学校を早退して付き添い、再び動物病院へ。

異物が疑われたので、外科処置が対応な知人のDr.Yeohクリニックへ。
発熱や脱水のため入院。検査。
熱が下がり容体が落ち着いたようだった…
翌朝、出勤された獣医師によって死亡確認がされました。

25日朝 急逝。
夫と三女が迎えに行きました。
とにかく自宅に早く連れて帰りたい。 

動物病院の先生方もあまりの速さに驚かれ、泣きじゃくる娘に寄り添ってくれました。
原因を知るために解剖の提案もして下さいました。
でも夫と娘の希望でお断りしてリズムを家に。

私は仙台で連絡受けて、パニック。
とにかく帰らねば…
仕事をキャンセルさせていただきその晩の便で、マレーシアへ。
新幹線や飛行機に乗っている間も、信じられない気持ちでいっぱい。
なんで今なの・・・
なんでそんなに早く・・・
そばにいてあげられなかった・・・
娘やリズムを苦しめた・・・
ごめんね・・・
後悔と自責、罪悪感・・・
いろんな気持ちが溢れてきて涙が止まりませんでした。

26日朝、娘とリズムに対面。
娘はリズムに添い寝して一晩中、
リズムの鼻や口から出てくる出血を拭いてくれていたのです。
大きなショックの中で、どんなに悲しく苦しかったでしょう。







いつもと変わらないリズム!

リズムはとてもきれいでした。
その寝顔は本当に「ママ、おかえり、早かったじゃない?」
起き上がりそうに見えました。





リズムリズムリズム・・・
名前を呼ぶことしかできませんでした。

抱っこしたリズムは柔らかくて
重たくて いつもと変わらないリズム。

めいがそばにいてくれて本当に良かったね。

リズムとの交流のひと時

身体をきれいに拭いて、ブラッシング、爪を切ったり…
ごはんあげたり、おやつあげたり、一緒にカステラ食べたり、
手紙書いたり、メッセージ作ったり、
足のパットのスタンプ取ったり、

話しかけては泣いて・・・
いろんなこと思い出しては泣いて・・・

可愛くて何度も頭やお顔を撫でて
リズムと交流する時間になりました。

現在アメリカに滞在中の娘2人のショックも大きく、
やり場のない悲しみの中、スカイプで交流。

身体が傷まないように…部屋を冷やすと同時に
保冷剤や凍らせたペットボトルを毎日交換する日々。



翌日はいつも寝ていた次女の部屋で、私とめいとリズムで寝ました。
寒かったけれど、なにか安心しました。

スウィング、フラット、リン、コトがどうしたの?
リズムがなんかいつもと違うけど。



なんで起きないの?
心細いよ・・・



不安や戸惑いの表情で会いにきます。


お友達に囲まれて



隣人や友人が毎日のように会いにきてくれました。
美しいお花でいっぱい。
マレーシア人の友人から、 「リズムに犬の愛おしさを教わったんだよ」と打ち明けられて、
ママは本当にうれしかった。




みんなの想い

我が家に2番目に来たスィング。
リズムとずっと一緒だったから本当に心細い表情で・・・
リズムが生きてるときは、いばってたけれど
ボスを失ってどれほど悲しかったでしょう。

Difference

ここで体験したペットの送り方に関する大きな違い。

マレーシアではペットは死後、埋葬が主流なのです。
火葬の炉は人のために存在しているけれど、動物は公には使用できないという現状。
動物病院でパンフレットには「個別火葬」とあり、安心していた私に新たな試練が。

唯一ペットの火葬を引き受けてくれるサービス
『 Pet Memorial Service 』
動物病院の紹介で個別に火葬をしていただけます。
火葬の場所は公にはできない事情がありますが、
自宅まで亡がらをお迎えに来られ、
火葬を済ませお遺灰を2~3日後にご自宅に届けてくださいます。


リズムを1人で行かせることはできない・・・
最期に立ち会いたい・・・

望みを捨てず無我夢中で探す日々。
Internet, Dr.Yeoh, Dr.Ku, pet shop, shelter…


リズムが亡くなり、
4日後の29日も問い合わせをしては断られ、期待と失望を繰り返す日々。
疲労感も大きくなると同時に、そろそろリズムを送らなければ…という焦り。
もう土葬しかないのか…と頭によぎる。

Dr.Yeohからの電話。
朗報が入る。

看取りの中での出会い

別のルートを探してくれたのです。
「Ipohという自宅から2時間の地にある獣医療の研究所に行ってみないか。」

『特別のケース』として個別火葬をお願いしてくれたDr.Yeoh。
そして引き受けて下さったDr.Chandra。

リズムの個別火葬はこのような連携の下、
たくさんの人々のご厚意が集まり実現ができたのです。


異文化の壁を超えて、リズムと私たち家族を温かいお気持ちで包んでくれた
研究所のスタッフのみなさまに感謝の気持ちでいっぱいです。
出会えて本当に救われました。

リズムから新たな出会いやつながりをプレゼントされたのです。


火葬の実現

死後6日経過。
でもリズムは本当に美しく安らかな表情で眠っていました。



10月1日ついに火葬が実現したのです。
リズムのお葬式は夫が会社を、三女も学校を休み、アメリカの2人の娘にも連絡。
離れていても家族が気持ちを合わせ時間の共有ができました。

特別なケースとして、研究所で立合い火葬できましたことは、リズムが急死し最期を看取れなかった私にとりまして大きな救いでした。
しかしながらマレーシアでは珍しいケースです。
どこまでご希望に添えるか明らかではありませんが、マレーシアにお住いの日本人の飼い主様から
お葬儀に対するご相談をお受けいたします。
研究機関のご協力をいただけるよう微力ながらも最大限に働きかけていきたいと思っています。


Veterinary Research Institute

リズムを喪失した悲しみの理解者でした。
異文化を温かく受け入れ、大事にしてくれたスタッフたち。
自然に伝わるグリーフケアがありました。




その夜は帰りに、リズムを囲み食事会。


Dr.Yoeh のご尽力のおかげです。


変わらないもの

家族の一員・・・

リズムが急にいなくなって、私の見てきた景色が変わりました。

娘3人とリズム。
私の見える景色はいつも一緒だった。
13年3か月、当たり前だと思ってきた日常は、なんて幸せだったのでしょう。

受け入れることがむずかしくて自然。
そう思って泣いたり笑ったりしながら、
現実に向き合う時間を過ごしています。

家族と仲間たちと心を支え合って。


リズムの存在は大きい。
それは生きてるときも死後も変わらないのだと気づきました。
今も家族の一員として中心に存在してます。

娘と選んだ可愛いコンテナに入って。


我が家のリビングで愛されてます。


これから先もリズムは家族に笑顔をくれるでしょう。
永遠に。


いっぱいの笑顔をありがとう!

死は過酷な悲しみをもたらし、全てを奪われたような喪失感を体験します。

でも、悲しみは消えないけれど、
リズムと出会ってから幸せをいっぱいくれたのだ、楽しかったのだ、
この時間は絶対に存在したのだ、
リズムが私たちを傷つけるような逝き方をするわけはないのだ、と
今は心から思えるようになりました。


リズムは我が家に来た初めての犬。
長女が9歳になる誕生日の少し前に
秦野のみかん動物病院の、飼い主Tさんに連れられた3か月のリズムに出会いました。
Tさん宅で生まれた5頭の中で、行先が決まらず最後に残っていた女のコでした。
あまりに良く食べるのでTさんはぴらちゃん(ピラニア)と呼んでいたとか。
たしかに3か月のコーギーにしては大きくて娘たちが焦ったのを覚えています。

小さいころは壁紙を引っ掻いて食べたり、
クッションやぬいぐるみの綿を何度出されたか…
床のあらゆる落し物を食べてしまうので苦労しました。

とても賢くて一度覚えると何度もできてしまうから油断禁物。
テーブルの食パン一斤も袋やぶって完食。確かにぴらちゃんでしたね(笑)

娘たちと一緒に育ちました。
初詣、里帰り、キャンプや旅行、運動会・・・

リズムは娘たちの仲間。
振り返ると改めてどんなに楽しませてもらったかがわかります。

リズムリズム・・・
みんないつも名前を呼んでいました。
11歳で足のふらつきが出るまではとっても丈夫なコでしたね。

毎年初詣では一緒に

毎年初詣では一緒に

キャンプでは川遊びが大好き



ホームステイの人々との交流

年賀状の写真撮り




2年前に変性性脊髄症の症状が見られ、
後肢が麻痺してからは、車いすや
荷台に乗って生活を続けていたリズム。

1年前からはおむつの助けを借りても
プライドは高かったリズム。

最期を迎える直前までハンディキャップ
を受け入れ日常を生きていました。

もっと親切にしてあげれば良かったよね・・・
もっとそばにいてあげたら良かったよね・・・
もっともっと・・・

会いたい、
触りたい、
ハグしたい・・・


いろんな思いは止められないけれど、
私たちがリズムと出会って幸せだったように、リズムもきっと楽しかったかな。
そう思っていこうと思います。
すばらしいコです。
笑顔いっぱいありがとう!
大好きだよ、リズム!